ー 原稿     
 
中国語を学ぶ楽しみ
 
ー 吉開 有紀

中国語は私にとって恋愛中の恋人のような存在です。一緒に過ごす時間がどんなに長くても(実際、夫と過ごす時間よりずっと長いのですが)、まだまだ足りません。私は彼にすっかり夢中になり、今は片時も離れられなくなりました。しかし、愛することには苦しみも伴います…

私が最も悩ませられていること、それは中国語と日本語の間には、“漢字”という強い絆があるにもかかわらず、同じ漢字でも使い方に微妙な差があったり、ときにはまったく意味が違っていたりするものがあることです。
2年ほど前、私はシンガポールに来て、すぐに中国語の勉強を始めました。シンガポールはもともと様々な民族や文化を併せ持っているせいでしょうか、外国人に対してとても寛容です。

私の話す中国語がどんなにしどろもどろでも、現地の人々はいつも耳を傾け、励ましてくれるので、私も思い切って中国語で話しかける機会をつくるようになりました。
たとえば、タクシーに乗るとき、はじめは英語で目的地を告げ、様子を見て、さりげなく、今度は中国語を使い、天気の話などをしてみます。
「ここ数日、よく雨が降りますねぇ。」
タクシーの運転手さんはいつも驚いた様子で、「あれれ、あんた日本人でしょ。中国語喋るの?」

私が中国語を勉強していることを告げると、それまで不機嫌そうだった運転手さんの顔が満面の笑みに変わり、雰囲気も一変、話に花が咲きます。
最近は、できるだけ中国語で考え、聞き、読み、書く時間を作るようにしています。
そんな中で、ときには、中国語を使ったほうが日本語を使うよりもより適切に自分の気持ちを表現できるときがあります。

母国語である日本語は、使うことに慣れすぎ、無意識のうちにだらだらと余計なことまで喋ったり書いたりしているようです。
中国語を使うときは、常にどの言葉を使うのがもっともふさわしいかを考えながら言葉を選ぶので、自然に、より簡潔な表現ができるのかもしれません。このことは、今の私にとって、中国語を学ぶ一番の楽しみとなっています。

日本帰国後も、中国語を学ぶ環境をつくり、その楽しさを多くの人と分かち合えたらと思います。今後もずっと愛しの中国語とロマンティックな恋愛を続けていきたい…私の心からの願いです。

 
  
Copyright © 星日外国語学院 2001年より
解析度が1024x768のIEにてご覧になってください。